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卒業

これまで毎度、乱文で記事を書いてきましたが、
これが最後の記事ということになるでしょう、五嶋です。
サークルも引退し、卒業もしましたがしばしこの場をお借りしたいと思います。

4回生の皆さん、卒業おめでとうございます。
残念ながら何人かお会いできなかった人がいますが、
また再会の機会のあることを楽しみにしています。

1・2回生のみんな、卒業式に来てくれてありがとうございました。
今日のスケジュールが事前にわかってなかったので、
ばたついてしまって、ご迷惑おかけしました。

卒業式の日というのはこんなに忙しいものなのかと思うほど
あわただしく一日が過ぎてしまって、あまりお話できない人が多く、
感慨にふける間もなかったかなという感じでした。

前会長・副会長にはささやかなお礼の花を渡しましたが、
このお二方には、感謝しても感謝しきれないくらいです。
きっと他のメンバーもそう思っていることでしょう。
この二人がサークルを立ち上げようと思い立って、
前会長がたまたまバスで一緒になった僕を誘ってくれなければ、
僕はこの場にいなくて、Aile-vertの素晴らしい仲間たちと、
知り合うこともなかったのかと思うと、
二人への感謝の念はつきません。

僕の昔の話なんてどうでもいいんですが、
高校時代、友だちと呼べるような人もなく過ごしてきて、
大学でも自らつながりを広げようとはしていなかった僕が、
真剣に語り合い、時には共に羽目をはずせる人たちに巡り合えたのも、
常に新たなつながりを求め、広い視野を持とうとするこの
Aile-vertがあったからこそだと思います。
前会長・副会長はもちろん、ここで出会ったみんなに、
大学最後の時間をともに過ごしてくれたこと感謝しています。

そして1・2回生のみんな。まだ1年も一緒に過ごしていないとは
思えないほど、馴染んでしまったので、別れが名残惜しいです。
中・高と先輩・後輩とのつながりがほとんどなかったし、
大学のギタークラブで先輩とのつながりがようやくもてたものの、
事情があって活動を休んでいた時期が結構あったせいで、
後輩とはあまり深く関わることができませんでした。
だから、Aile-vertの1・2回生は僕にとっては、
ちゃんと春から関われた初めての後輩です。
先輩として至らないところは多々あったかとは思うけど、
それぞれに個性があって、本当にいい後輩たちをもてたことを、
嬉しく思うと同時に、誇りに思います。
みんながAile-vertに入ってくれたおかげで、
4回生も上級生としての責任感をもって、それまで以上の成長が
できたと思います。本当にありがとう。

Aile-vertでの経験、そこで得たもの、そしてみんなとのつながりを思うと、
どれだけ言葉を重ねてみても、想いを言い尽くすことはできない気がします。
皆さん本当にありがとうございました。
そしてここでみんなと巡り合えた奇跡に感謝を!
                              五嶋
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日本人のDNAを知る

こんにちは、廣田です!
今回は書籍 “藤原正彦 『名著講義』” をお勧めに参りました。

突然ですが、以下の本を何冊知っていますか?

新渡戸稲造  『武士道』
内村鑑三   『余は如何にして基督信徒となりし乎』
福沢諭吉   『学問のすゝめ』
         『新版 きけわだつみのこえ』
渡辺京二   『逝きし世の面影』
山川菊栄   『武家の女性』
内村鑑三   『代表的日本人』
無着成恭編  『やまびこ学校』
宮本常一   『忘れられた日本人』
キャサリン・サンソム 『東京に暮す』
福沢諭吉   『福翁自伝』

3、4冊ならご存知かもしれません。読んだことがあるとなるともっと減りそうですね。
ちなみに私は一冊も読んだことがありません。

お茶の水女子大学の名誉教授である藤原正彦さんは、これらを一週ごとに課題図書として学生に読ませ、感想を言い合う “読書ゼミ”を十数年にわたって続けています。
『名著講義』には、ゼミでの学生と藤原さんとのやり取りが書かれており、これらの本のエッセンスと概要を美味しいとこ取りできてしまいます。

もちろん、それだけではありません。
様々な視点から見た日本人のDNAをこれでもかと見せ付けられ、日本のよさを深く認識でき、とても新鮮でした。
この間話し合った宗教についても、日本人の宗教観をよく考察でき
カウンセリング業を志す者として、現在の西洋から入ってきた理論は果たして日本人のためになるのかと考えさせられ
世界経済のこれからについてまでも思案してしまいました。

日本人の原点にいささか触れると同時に
「時代の常識」からいったん退き、世界を自分自身の頭で考える良い機会となると思います。
上記の本を一冊も読んでいない方、テスト疲れしてる方、是非どうぞ!

紹介した書籍: 藤原正彦 『名著講義』 文藝春秋、2009  
※廣田に声をかけてくだされば、お貸しします♪

続・阪神淡路大震災から15年

お久しぶりです、五嶋です。
ようやく残すところレポート1つ、試験5つになりました。
あのつどいからまだ10日とは、思えないほどこの間が、
長かったような気もしますが、試験終盤戦に入る前に、
あの時感じたことを少し書き綴っておこうと思います。

前にも書きましたが、あの震災は僕にとっては知識上のできごとで、
いわば関東大震災とかわらないものでした。
毎年、震災の起きた日に催しがあることは、知っていましたが、
参加しようと思ったことはありませんでした。
一番の理由は、あの震災の経験者が集まるんだろうというふうに
感じていたこと。震災の記憶を風化させてはいけないという考え方は、
理解できるけど、僕にとっては「考え方」であって「思い」ではない。
震災の危険やそれを物語る歴史、危機管理の知識といったものが、
そうした考え方を受け入れる素地を用意はするものの、
震災の記憶を風化させてはいけないという思いがうまれるほど、
内面化されているわけではなかった。
どことなくうわべだけな、そんな印象がぬぐいきれない感じ。
あの日つどいに参加して感じたのはそうした印象が、
表面化したものだったのかもしれない。
そういう表現が正しいのか今でも本当はよくわからないけれど。

震災の日付けをあらわした無数の竹灯篭。
15年前に悲劇が起きたその時刻5時46分がやってきて、黙祷が捧げられる。
当時のことを思い出したのか泣いている人や、黙祷が終わっても目を閉じて、
静かに祈りを続けているらしい人、じっとろうそくの火を見つめている人、
早々にその場を離れ立ち去っていく人...本当にいろんな人がいました。
僕はというと、目の前で揺らめく無数のろうそくの火を眺めながら、
震災でなくなった6434名という数の多さを改めて感じていた。
実感というにはまだ遠い感覚だった気がするけど、それでもその数字が、
無機質な数値ではなくなったような気がした。
とはいえ、それが限界でもあった。それ以上亡くなった人々に、
近寄ることもできないし、していいようにも思えなかった。

感覚的な話が随分続いてしまいました。上手く言葉にできないことは、
たくさんあるし、書いたことも本当にその言葉でいいのか自信はないけど、
あの日感じていたことの一端は書き記せたのではないかと思います。

もう一つだけ当日気になったことを、最後に加えておきます。
報道関係者のことです。あちこちでシャッターをきる音、
インタヴューをする記者の姿が目につきました。
灯篭の前にひざをついて、目を閉じている人の横で、
いかにもという写真を撮ろうとかがみこんでカメラを構える人。
こういう場で、こうした光景にでくわすことは、自明のことでしたが、
なにか釈然としないものがありました。

支離滅裂な文章になりましたが、これで報告終了です。

阪神淡路大震災から15年(簡易報告)

こんばんは、五嶋です。
16日の活動(「今後のAile-vertについて)後、急遽
震災15年目の「1・17のつどい」に参加することが決まり、
4人で行ってきました。
地震発生時刻の5時46分にあわせての黙祷とそれに先立つ
「1995 1.17」をかたどるろうそくの点灯準備に参加するため
前日から現地入りしました。

僕は震災当時、奈良に住んでいて実害は皆無でした。
そのため、これまで震災は個人的には知識上の出来事でした。
今回参加したことで学んだこと、感じたことはたくさんあった反面、
やはり震災を経験した人が、そこから感じ取ったものと
僕がそこから感じられたものには、大きな差があったような気がする。
そういことを17日午後まで残ったメンバーと話しました。
帰りの電車で、逆に震災を経験した人には、僕のように全く
被害を受けなかった人の感じ方はわからないから、
詳しく聞かせてほしいと頼まれたので、そのうち書きたいと思います。

メンバーには周知のとおり、4回にもなって過去最高数の
レポートを抱えている身なので今回はこれで終わります。
落ち着いたらまた記事を書こうと思います。

信じるものは

こんばんは、代替わりし役職もなくなった、4回生の廣田です。
ここで雑談をひとつ

最近、宗教に触れる機会が重なりました。

仏教の本をなんとなく手に取り
授業で、奈良時代の仏教尽くしの話を聞き
キリスト教を思わせる絵本を読み
聖書を学ぶ機会があり

あまり、今まで宗教を考えたことはなかったのですが
これは考えないといけないぞ、と思い至りました。
以下、認識不足な点も多々ありますが、申し分けありません

宗教と聞くと、私は少し身構えてしまいます
「怖い」と思ってしまうのです
よく家に勧誘に来る人もいますし、世界のあちこちで宗教を根っこに戦争が起こっていたりします。
なのに、日本で生活をしていると、あまり宗教があることを意識しないため
実際どんなものなのかはよくわからない
「神様という人智を超えたものがいて、その観念に即した色々な儀礼や習慣がある」
これくらいの認識でした

しかし、一歩中をのぞいてみると
宗教の観念は、その人の信条そのものであることがわかりました
人の中心に、その教えが息づいている
目指すものや日々の行いが決まってくる

中世のヨーロッパで、宗教を元にした争いが多々起こっていますが
法体制も科学的な知見もまだ未発達なころ、宗教が全面に出てきてしまうのも納得できる話しです
それだけ強い力がある

うまくまとまりませんが
怖がってないで、知らないとけないなと思ったのです
なんでそう考えるのか?どうしてそうなのか?

単に、その人の個性や考え方でなくて、宗教はもっと深いところに息づいている
相手の信じるものが理解できたら、色々なことがわかるような
お互いに分かり合えるような気がします

これから、勉強していきたいと思います
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